ごきげんさまでございます。
3回目のライブ配信が終わり、さらにみなさまが恋しい席亭です。
いつから、落語茶屋は再開できますでしょうか。
再開したとして、みなさま、ちゃんと会いにきてくれますでしょうか。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
この冬から春にかけて
「僕、落語したいです」と志願してくれる若者が、
どこからともなく、立て続けに現れました。
人生において「あ、落語がしたいな」っていうのは
いったいどういうときなんでしょうね。
ありがたいことではございますが、
彼らの人生に、いったい何があったのでしょうね。
志願者のうち、加藤くんと西山くんは、
「曾根巣家」に入門することになりました。
(志願者の特徴や因縁を鑑み、本人と席亭とメンバーで話し合って決めます)
マンデーさんが筆頭で、面倒見が良く本人の持ち味重視の曾根巣家です。
加藤くんは「曾根巣家 音出窓(おんでまんど)」
西山くんは「曾根巣家 杢兵衛(もくべえ)」
さて、この自粛期間で、稽古もお披露目も満足にしてあげられない日々。
そこで、今回、二人のために、
マンデーさんと協力して、勉強会を開催しました。
大きく分けて、座学と実践の二本柱の構成でした。
必要ならググればいくらでも出てくる知識は割愛しながら。
座学でのいちばんのポイントは「芸能」と「到達点」について。
ワークショップでは短い古典小噺をいくつか。
個性を大事にする曾根巣家では、お手本通りにしろということはしない。
マンデーさんも「一例」として、同じ噺で三人三様の世界を展開する。
とはいえ、手ぬぐいや扇子の使い方はマンデーさんが教えてくれて。
「たとえば半年経ったとして、ひとつの到達点に達した、と実感することがあるとするなら、
それは具体的にどうなっている状態のことだと思う?」
暗闇の中、手探りで落語をはじめた私たちが、10年経ってもまだもがいている問い。
「一つの演目をスラスラと出来て、お客様が飽きずにちゃんと聞いてくれた時、ですか?」
ちゃうねん。
そうかと思ってたけど、そうじゃなかってん。
10年間、何度も何度も、落語の後に深夜まで、喧嘩になったりしながら、議論を繰り返した。
みんなで手探りで、何が正解かもわからないまま、あきらめないで、走り続けた。
今もまだ、わかってないのかもしれない。
どうやら、お客様が飽きずにちゃんと聞いて、笑ってくれるのは、
一つの演目をスラスラ上手にできたから、ってわけじゃないし、
「スラスラ」ってのが「上手にできた」ってことではないみたい。
たとえば、目の前で、知らん男が突然正座して喋り出したとして、
それがどんなに流暢で、あらすじが面白い話だとしても、
お前さん、それ、笑って聞くかい?
逆に、目の前に知らない誰かが座ったとして、
その人に自分の話をちゃんと聞いてもらうために、
お前さんなら、どんなことをする?
落語が、人を笑わせる「魔法」を持っているなんてことはなくて、
落語は、人に笑ってもらうための「到達点」ではなく「手段」の一つにすぎなくて、
「笑ってもらう」を突き詰めれば、人と人の出会いであり、心を通わせること、そのもので。
大事なのは、自分の人生というベースで、日頃から、人との接し方を丁寧に磨くこと。
「人を笑顔にする」ことを到達点とするからには、日々の出会いこそ、大事な稽古。
「えっと、口角を上げて、まっすぐ目を見る、かな」
「自分は、笑顔で、話す内容とか、気をつかいます」
うん。よし、まずは、そこからだ。