こんばんは。
心配してしまうほど急な、爽やかな秋の訪れに戸惑っています。
みなさまにおかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
わたしたちは、落語茶屋ソネス2017.9月の稽古、真っ最中でございます。
本日は曽根巣家落花生(そねすや・ぴーなっつ)こと天野智範がお送りする、
「子別れ」の稽古風景をお届けいたします。
この「子別れ」は別名「子は鎹(かすがい)」という題で
古典落語のなかでも最もメジャーどころのおはなしかと存じます。
酒の悪業で妻子と別れた大工が、子の仲立ちによって復縁する人情噺。
このおはなしのききどころ、腕のみせどころの二カ所について、
試行錯誤の日々でございます。
ひとつは、
父母が大人の事情で離ればなれに暮らし、母とともに暮らして三年目、
10歳になる息子が、夕暮れの道ばたで父にばったり会って交わす会話。
父子ともに、ぎこちないやら照れくさいやら嬉しいやら、
父ちゃん!と抱きつくには大きくて、どうも、と会釈するには幼いキン坊。
大工である父の、子への愛情と妻への未練、後悔、懺悔、きまりの悪さ、
新しい暮らしへの遠慮、三年という年月の重さ。
もうひとつは、
ばったり会った父から内緒と約束して貰った小遣いを母に見つかってしまうキン坊、
強情を張って初めて母に歯向かうところ。
母は息子の初めての反抗に、まさか他人様の物を盗ったのでは、と疑い、
自身が母となって初めての試練に出合う。
貧しい暮らしではあったが、人の道を逸れた息子へどう向き合い、更正させるべきか。
自身にもむち打つように、決死の思いで、初めての折檻の手を挙げる。
この場面をつくりあげるにあたって、たくさんの語らいをしました。
小さい頃、どんな子だった?
お母さんにどんなふうに叱られた?
初めてクチゴタエしたとき、初めて悪いことしたとき、初めて反抗したとき。
お父さんに嬉しい気持ちをぶつけるとき、どんなふうにしていた?
「俳優は、誰かの人生を生きてみたり、誰かになったりできる」
そんなふうに思いがちだけど、決してそんなことはなくて、
落語に向き合えば向き合うほど、自分はどこまでも自分でしかなく、
たちあらわれるどの人物も、歯がゆいほど、自分でしかない。
キン坊はあの日の僕であり、父はあのときの父であり、母はあの日の母である。
「普通」の家族、「普通」の人生なんて、どこにもなくて、
ひとつひとつが特別で、自分だけのもので、
あの日のなにげない思い出が積み重なって、現在の自分を形成している。
そのひとつひとつをつまびらかに開き、認め、いとしく抱きしめたとき、
自分だけの味の「子別れ」がそこに、たちあらわれます。
そうして噺家の数だけ異なる味わいが生まれる、それが古典落語の妙味。
覚えてなぞらえるだけでは、いけない。
噺家が自分を重ねて語るから、お客様も自分を重ねて聴いてくださる。
まずは自分の味をしっかりと自分で認識し、ひらいて、
人生ごとお客様の心へ飛び込むこと。
曽根巣家落花生の、「子別れ」
そのひとことに、ひと呼吸に、目遣いに、
曽根巣家落花生の、人生、家族、思い出を、ぎっしり詰め込んでお送りします。
ぜひ、お聴き届けくださいませ。
2017.9月落語茶屋ソネス「秋のはじまり沁みる人情噺」
9月5日(火) 20:00open/20:30start
於 カフェソネス
1,500円(ワンドリンク付) ※ご予約不要
一、クロキカオリ作 博多巻物語り
「養巴邸の沓脱ぎ石のうえで」椿亭豆猫/酒瀬川真世
一、幕間歌謡 Dai & Chie That’s SHOW TIME
<初登場> イトウダイ、コダマチエ
一、古典落語
「子別れ」曽根巣家落花生/天野智範
おまけ。いつかの稽古風景@ワタクロ邸
わたしたち落語茶屋ソネスのメンバーも、互いを家族のように思いながら、
こうして日々、ささやかな日々を積み重ね、精進し、人生を形成しています。