同じ年の同じ月に同じように舞台俳優ばかりではじめた月光亭落語会が今年で10周年だと言っているので、そうかじゃあきっとうちらもそうなんやろうね、と語り合う、落語茶屋ソネス恒例の新年鍋会でございました。
これは落語って言わないんじゃないか、これは落語でやっていいことなのか、そうやって試行錯誤や議論討論を繰り返し、毎月来ていただけるお客様に支えられ、育てていただき、「やっぱり無理」「挑戦したい」「もう二度と」「次はきっと」の繰り返し、今だってずっとそうです。何度上がっても心臓が飛び出るほどの緊張感は変わらないし、頭が真っ白になってしまう瞬間も減ることはありません。
だけど、ひとつ授かったものがあります。
お客様の中に飛び込んだときに、こわばって力を込めるのではなく、力を抜いて自分の殻を「一枚脱ぐこと」
落語家を演じようと意気込むのではなく、素の自分としてお客様と対面することは、ずっとみんなの共通の課題でした。
「自分以外の何かを演じる」という舞台俳優であるけれど、落語に取り組もうとすると最前で待ち受けているのは、自分自身。好印象の誰かを演じようとしても、その欺きはすぐさまお客様に見えてしまう。取り繕うことをやめて、自分が自分自身と向き合い、自分が自分を許し、慈しみ、磨き上げ、裸のままでお客様に向かう。これが受け入れていただけた、という空気を感じ取れること。それは何よりの授かりであり、成長のきっかけになりました。
10年、出演者もたくさん増えました。それぞれに、人生いろいろありました。日頃はまったく関わりない劇団どうしであったり、仕事で関わりあう関係であったり、距離感はそれぞれながら、遠くにいても近くても、心配されたり助けたり祝ったり。同じように悩み、磨き、走り続けながら、人生に起こるさまざまなことも落語の糧として取り込みながら、年の替わり目に、相変わらずの鍋をつつきながら笑みを交わす。いつでも寄り合える「家族」のようなかたちに、少しずつ近づいている気がします。
演者だけでなくいつも顔を見せてくださるお客様とも、そのような絆を築いていきたい。10年目の席亭の思いです。