今日は1月25日、初天神です。
「天神さん」とは「天満宮」に祀られた菅原道真公のこと。
菅原道真公の誕生日・ご命日にちなんで
毎月25日は「天神さんのご縁日」となっています。
落語の「初天神」は、もとは上方落語ですが、
時代も地域も飛び越えた「父子あるある」な噺なので
この、白梅がほころぶ頃、よく掛かる演目です。
博多でいえば「十日恵比須」の光景のほうが親しみ深いかもしれません。
いろんな露店に目を輝かせながら連れてってもらった縁日、お祭り。
古典通りに登場する、飴、みたらし団子、凧、ほかにも
噺家さんによっていろんなアレンジを伺うことができますし、
身近な「あるある」エピソードをアレンジして挟むことができるので、
もし、この演目をおやりになる方がおられるなら、
ぜひ、オリジナルエピソードを織り交ぜて楽しませていただきたいです。
落語茶屋ソネスでこの作品を掛けた際には、
私は設定を薬院の姿見橋あたりにしました。
というのも、この「姿見橋」こそ道真公が太宰府に赴く際、
水面にご自分の姿を写してお嘆きになられた場所というご縁ある場所で
黒田藩による町作りにより警固の「菅原神社」天神の「水鏡天満宮」となるまで
もともとここは「菅原神社」があった場所でもあるからです。
ここにもし、今でも「菅原神社」があり、そこで初天神のお祭りがあったら?
そんな背景で筆を進めた現代の薬院での「初天神」は
西鉄の高架と電線が危なくて凧なんて揚げられませんので
キン坊にせがまれて仕方なく肩車したまま父ちゃんは
「あ、なんかええカフェあるやんけ」とソネスの暖簾をくぐり、
キン坊を肩車したままソネスのカウンターで酒を呑み始め、
キン坊に「はー、父ちゃんなんかと来るんじゃなかった」と
古典と同じサゲに辿り着くことになります。
子供だからって、甲高いキンキン声を作ることに違和感を覚え、
この時、演じた痛風亭立直と考え直しました。
子供の方がよほど冷静で理路整然と理屈をこねる面白さもあり、
「男同士の約束」をして出かけるわけだから、対等な関係です。
なので、ここはひとつ、子供とか大人とかのフィルターを外して
演者のナチュラルな声域で演じ分けてみたのですが、とてもよかったです。
大人の中にも、子供の部分があり、子供の中にも大人びた部分がある。
それが「初天神」の根本的な面白味でもあるんですよね。
「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
飛梅となって思いを京に飛ばしたという道真公。
「天神さん」の社のそばには梅があしらわれていることが多く、
この時期、刻々と蕾を綻ばせ香りを強くする梅の花が楽しみになります。
ついつい少しだけ遠回りして、天神さんのそばを通りながら、
春の訪れを待つ毎日を、いつくしんでまいりましょう。
春に落語茶屋ソネスもふたたび咲けますよう、祈りつつ。