ユウさんのおはなしをしましょう。
ユウさんは、カフェソネスのダンディな常連さん。
画家であり装丁家としてもご活躍のダンディは
長年フランスで暮らしていた「人たらし」
ワインやチーズにまつわる素敵な物語や
酒場での粋な配慮についてよく知っていて
駄洒落となぞなぞと哲学と天文学が
同じ引出しから出てくる、素敵なおとな。
エスプレッソをのむときはね、
先に角砂糖だけ口のなかに入れてごらんよ。
そうそう、舌で角砂糖を転がしながら
エスプレッソで溶かして愉しむんだよ。
知らない世界を教えてくれるおとながいる
カフェソネスの夜のカウンターが大好きでした。
十数年前、その晩も、ユウさんは
ワイン好きな女子たちに囲まれていました。
そのとき、くまちゃんだったかな、いづみちゃんだったかな、
まるでこの世の終わりみたいな悲しい顔して入ってきたので
私たちはみんな、しん、として彼女を迎えました。
「チャリ、盗られたと」
悲しくて悲しくて涙も出ないくらいに悲しくてうなだれる彼女を、
みんなでかわるがわるハグし、肩を撫で、
そのとき、ユウさんが優しく声を掛けました。
「大丈夫、イタリアの古い諺ではこう言うよ、
『自転車を盗られたら、まもなく、恋が、やって来る』って」
「ほんと?」
彼女の悲しい顔が、一瞬にして、ぱあっと明るくなりました。
わたしらは、自転車を定期的に盗られ、なくなり、
だけど、この諺を知ってからは誰かが自転車を盗られるたびに
『大丈夫、まもなく、恋が、やって来る』
そう声掛け合って、私たちは悲しみを和らげあいました。
それから十年以上たっていたかな、
ある日、同じように誰かがまた自転車を盗られて、
あの日と同じように『大丈夫、恋が、やって来る』と
声をかけたそばにユウさんがいてグラスを傾けていたので
「イタリアではそう言うんだよね、ユウさん」って訊いたら
ユウさんはいたずらがばれた子のように笑ってこう言いました。
「ごめんよかおり。あれは、デタラメだったんだんだよ。
だってあのとき彼女が、あんまり悲しい顔をしてたから。」って
えー??嘘??
十年以上、ずっと信じて、ずっと励ましあっていた、
なんだか元気が出るおまじないみたいに信じてた、
それが、デタラメな嘘だったなんて。
なんて優しい嘘だろう。
十年以上、この言葉で元気になった女子はきっとたくさんいて
なんなら恋に前向きになれる力をもらったし。
ものごとには善悪があるとか、
嘘をつくことは悪いことです、とか、
よいこと、正しいことをしましょう、とか、
こんなに危険な刷り込みはないと思うこのごろです。
あなたにとっての「よいこと」が
誰かにとっては決して「よいこと」とは限らない。
それがどんなに「正しい」知識や診断であったとしても。
しかも厄介なことに、「正しい」ことをしているひとほど、
その押しつけの「正しさ」が
誰かの大事な芽を摘み傷つけていることに気づかないもので。
傷ついてうずくまる誰かをあなたが本当に大切に思うなら
手を差し伸べてあなたの「よい」と思う方向に導くよりも
いっしょにうずくまって気が済むまで
傷ついて立ち止まる「今」をともに生きていきたいと思う。
そしてユウさんのように「ほら、恋が、やってくる」なんて
キラキラした嘘で、顔を上げるきっかけをつくりたい。
喫茶喫飯
あなたの人生と誰かの人生の、
それぞれの主人公はそれぞれで
ほんとうに大切に味わうべくは「未来」ではなく
このふたつの人生が交わってる「今」そのもので
大切な誰かがどんなに苦しみ悩んでいても
そのひと自身のちからで越えてその経験を糧とできるよう
わたしはそのそばに寄り添って
その声を聴き、ただ聴き、今を咲いていましょう。
わたしが、わたしがいつのまにかわたしに課していた
「正しいこと」「よいこと」「ちゃんとしたこと」が
わたしを、いつのまにかつらくさせていることがあります。
わたしがわたしの「今」を存分に味わうことを
「よい」未来のためにあきらめないように。
落語茶屋ソネスはただいま再構築中です。
もうすぐ、もうすぐ、お知らせができます。
ちなみに「ユウさんを偲ぶ」みたいな文になりましたけれど、
ユウさん、今もとても元気です。
最近、ホームページをリニューアルしたみたいです。
行ってみて下さい、優しい嘘つきのページはこちら。