ごきげんさまでございます。
あの昨年の緊急事態宣言からもう1年と少し経ちました。
落語茶屋ソネスは昨年2020年3月に一度緊急中止したものの
翌2020年4月にはいち早くライブ配信に切り替えて上演し、
以来、配信だったり限定入場だったりしながらですが、
おかげさまで毎月絶やさずに上演できております。
たくさんの視聴やコメント、ご支援、アドバイスをいただき、
また演者も慣れない環境に苦心しながら心を削りながら
落語茶屋ソネス存続のために尽力いただいておりますことを
あらためて、心より御礼申し上げます。
「演劇の灯を消すな」「あらゆる文化は不要不急ではない」
「文化の継ぎ手が絶えてしまう」
声を大にして言えずに、泣く泣く中止した数々の舞台公演、音楽ライブ、
去年の今ごろの悲痛はただならぬものでございました。
さてそれから1年。
演劇や音楽の舞台は、少しだけ状況が変わってまいりました。
それはひとえに「舞台の灯を消さない」と全世界の多くの人たちが、
少しずつ明らかになるウィルスの特徴や感染の状況を細かく研究し、
注意深い検証とさまざまなアイディアをひとつひとつ積み重ねて、
そうして得た知識や経験を独り占めせず広く共有することにより、
「安全・安心できる上演環境・観劇環境」を作り上げ、
さらに注意深く遂行することにより無事故の状態を継続し、
それにより社会的信頼を少しずつ築いてきたからに他なりません。
ほんとうに気が遠くなるような努力と奇跡の積み重ね。
有り難いことでございます。
そうして末席で上演を行う落語茶屋ソネスも
その信頼を挫くことがないよう、細心の注意を払い、上演いたします。
ところで、今、3度目の緊急事態宣言が延長されようとしている今、
先人が築いてくれた社会的信頼(まだまだ建築中)をありがたく受け取りまして
舞台の上演については、去年のように「一律して中止」というわけではなくなりました。
「中止」「動員数を半減して実施」「換気休憩や装置など工夫して実施」「通常公演」
条件はさまざまで、勿論まだ上演できないものもございますが、
少しずつ、演劇が日常に還ってきた、そんな感じがします。
会場や楽屋の広さ、換気の具合、出演者の人数や観客の人数、
稽古場や楽屋や舞台上の感染対策、公演内容、主催者や観客の年齢、
さまざまな条件が加味されて上演の決定はなされていると思います。
が、これが、困ったことに、外側からは細かい事情は見えないため、
一見バラバラに演っているように見え、見た目の不公平感が生じます。
ちゃんと紐解けば不公平というほどのことではないのですが、
「あそこは中止してるのに」「あそこは意識が低い」など
作品への批評以上に上演における感染対策についての批評を耳にします。
なんか悲しい。
一方で歯を食いしばって中止した人がいるところでそのような感情が起こることは、
この狭い世界のことですから、仕方ない人情かもしれません。
でも、なんか悲しい。
一方で「昨日行ったんですけどぎゅうぎゅうで危険を感じました」という声も
よく聞くようになりました。
きっと一昨年まで抱くこともなかったような違和感、危険感知。
だってぎゅうぎゅう満席の状態ほどワクワクしていたあの頃の自分がいる。
いつのまにか、主催側とお客様の感覚が、ずいぶんと乖離しているのです。
実際、日頃人混みや満員電車を避けたりリモート中心に生活していると
久々の劇場の感覚に「危険を感じて芝居に集中できなかった」ということもあります。
日常、家族間でのハグも、友人同士でのマスクなしの会話も躊躇するのに、
舞台上ではマスクなしで、近い距離での芝居が行われる、その違和感。
舞台上の情景に違和感を持ち、描かれる作品に共感できず疎外感を感じたり、
夢から覚めたように、突然、現在のこの客席という閉塞空間への不安に襲われる。
一昨年まであまり感じなかった感覚です。
世の中で「劇場」と銘打って興行を行うからには、劇場は、
「劇場法」という法律に則って劇場を設計・施工・運営しなければなりません。
仔細ありますが「換気」について劇場法は、特に厳しく定めており、
観客席はどんなに広くても空気が10分以上滞在することは許されていません。
落語茶屋ソネスは通常飲食店店舗であり法的な換気検証を行っていないため、
現在、私たちは有客での上演を控えているわけですが、
「劇場」「公設ホール」において換気は法的に安全であるはずです。
なので「空気が悪い」「換気が良くない」と感じるのは、実際問題より
「危険」「不安」「不快」から生まれるものかもしれません。
ですが、法はどうあれ、お客様の「感覚」が少しでも不安に陰るならば
主催者は理論的説明より感覚的配慮をもっと工夫しなければなりません。
それはせっかく作り上げた「作品」に対する配慮でもあります。
観劇環境は、舞台への集中を妨げるものであってはなりません。
上演側には自分たちの感覚を中心にするのではなく、最大の配慮をもって、
あらかじめお客様に心の準備をしていただくために、くどいほど、
観劇環境、感染対策についての告知・周知が、より必要ではないかと思います。
一時期は丁寧に説明して公演案内がなされていたけど、
最近そうでもない気がします。
お客様も「ちゃんとやってるだろう」と一応の信頼をおいて観にくる。
そんなふわっとした信頼関係では済まされない、
命が関わっているということを双方が自覚して、
刹那の人生のひとときを共有したいと思うのです。
相次ぐ「公演中止」「観客席減少」「無観客」「配信のみでの上演」は
演者の心もすり減らし、演者は一様に「栄養失調状態」に陥っています。
「お客様の表情がマスクで見えない」のも、特に落語にとってはツライです。
(それでも落語茶屋ソネス存続のために配信に協力してくれるメンバー、ありがとう)
「いったんお休みしてもいいんじゃない?」
カフェソネスオーナー木下(ヒゲ)はよくそうやって声をかけてくれます。
(自分だっていっときも休まないのにね)
人それぞれに、さまざまな思いや大事にしたいことはあると思います。
それぞれが深く考え、大事にしてほしい、ぜひそれを優先してほしいと思います。
席亭が思う大事にしたいこと、をお話ししたいと思います。
芸道について、以前にお話しした折に、
人には、天から授けられた「任」がある、と申しました。
音楽の才がある人は音楽の任を、俳優、文筆、絵画、には、それぞれの任を、
天はそれぞれに配し、その任を全うすることが、人が天との約束を果たすことです。
すべての芸能は、人のためにおこなうものではありません。
無論、自分の成長のため、自己満足のためにおこなうものでもありません。
天から授かった「任」を果たすべくおこなうべきものです。
地が平らかに民が和やかにと生かす天が、自分に授けた役割の「任」なのです。
芸能の神さまは「天鈿女命」という方です。
天照大御神が天の岩戸へ籠もられた折に、力でなく踊りと観客の笑い声でもって
その重い岩戸を開けさせ、この世に光を取り戻された神様です。
祈りはもちろんこの世に光を、ということ。
そのために自分の「任」たる踊りを一心不乱に舞い、
観客の楽しそうな笑い声が天照大御神に届いたという神話。
芸能の持つ力を、信じること。そして「任」に邁進すること。
私の任は、この落語茶屋ソネスの席亭として、場を作ること。
演者の「任」を全うさせることが、自分の芸道における「任」だと思っています。
私は人が笑っているのがとても好きで、いつも笑っていてほしいと思います。
ひとときでも心が解放され、心がそのかたちのとおりであってほしいと思います。
お客様にも、演者にも、家族にも、友達にも。
世界中そうあってほしいけれどそれは届かないので身近なみなさまには、
祈りを込めて全力でいつも自分の「任」を務めていたいと思うのです。
「任」を理解し、つとめているメンバーにおいては同様の気持ちだと思います。
落語茶屋ソネスは、そんな思いで細々ながら、存続させていただいております。
相次ぐ公演中止などで心が削られている、芸能に携わるみなさま、
どうか、ご自分の「任」を今一度、よく見つめ直したうえで、
そしてこの芸道の道にその「任」を今一度見出したならば、
あの日の天鈿女命のように、この世に光が戻ることだけを一心に祈りながら
迷うことなくその「任」のために鍛錬・精進されれば、
少し心が軽くなりませんでしょうか。
つらつらと思いをたくさんお話ししました。
画面の向こうでくつろぎながら落語茶屋ソネスの配信をご覧になって
ほっこり笑ってくださってるお客様の顔を思い浮かべながら、
来月も、落語茶屋ソネスは配信にてお送りいたします。
はやくみなさまと、笑顔を交わしたいですね。
それまで、どうぞ、ごきげんよう。